二日目。
どうしても植田正治写真美術館を見たいという話から移動距離が141kmと多くなったため、
途中倉吉から伯耆大山までの約47kmを電車移動のスケジュールに。
当然1時間に1本くらいのダイヤなので、倉吉発の電車の時刻目標で午前中は動く。
ひとまず朝風呂の前に川辺を散歩。
対岸から見る三朝温泉一番の老舗旅館の大橋は有形文化財にも指定されている建物だ。
2F建ての住宅みたいなスケールがくっついている感じは、非常に木造旅館らしさを活かした佇まいである。
営業に支障を来さないように増築したり、部分的に改修したりできるというのが小さな建築の優れたところ。
朝食後、朝8時の開門に向けて三徳山を三仏寺までヒルクライム。
距離にして8km程度。後半急になるが、獲得標高も200mちょいなので、朝練としてちょうどいい感じ。
自転車をおいて削れっぱなしの緩い階段を上がっていくと、登山が予想以上にきつかったw
とにかくいきなりこんな感じ。
かなり根っこや岩場を登らされるので、入口の本堂で靴の調査があるのも頷ける。
この先に建築があるとはとても思えない。
2-30分登った先に、最初に現れるのが文殊堂。
これもこの隣の岩場を鎖で登って上がる。
隣の掛け造り登ったら怒られるんだろうか。
なんとか登ると、崖の上にせり出した通路に靴を脱げば上がってもよいという。
マジか。
恐る恐る一周する。
これを一度経験すると、水勾配は今後もう少し緩やかにしようと思える。
手すりのない崖に対して幅1mちょいの通路が傾いているんだから。
さらに上がった先の地蔵堂もほぼ似たような建物。
せいいっぱい強がって写ってみたが、やはりビビってる感じが出ているw
ハーゴン的な立ち位置の観音堂。
こんな狭くちゃ仕事できないよという大工さんに見せるべき建物である。
屋根の上の仕事どうしたんだろう。
神がかっているとはこのことだ。。。
信仰心のない僕のような人間でもこれを見ると、人間の所業とは思えず言葉を奪われる。
誰がどう発想してああなったのかも気になるけど
どうプレゼンしてお金やたくさんの人を動かしたのか
現代の枠組みでは全く想像できないという点で非常にアート的である。
そういう建物は今まで見たことがない。
こんなところにどうやってつくったの?っていう建物は世界にもたくさんあるけれど
とにかく間違いなく世界でもたどり着くのが難しい建築のひとつだと強調しておきたい。
そして体験の感動はアプローチの難しさに比例する。
下山して倉吉駅まで三徳川沿いを一気に下ってローカル線に乗る。
二両編成で、右に日本海、左に大山を見ながら47kmくらい移動。
電車を伯耆大山で下りて、10kmくらいまた山道を登ると、森の開けた田んぼの側に現れるのが植田正治写真美術館。
卒業論文で水盤建築を扱ったので、その資料だった建物でずっと来たかった建物の一つだ。
カメラっていうのは光を受け止めて風景を切り取る装置だぞっていうのを建築にしたような佇まい。
婉曲した壁の裏側が入口になっている。
展示室のボリュームとボリュームの間が水盤になっていて、大山がその枠に綺麗に収まる。
水盤は記憶が正しければ、元々はインフィニティエッジになっていて、水が流れ落ちていたはずである。
一見すると高松さんぽくないが、ものすごいシンプルなようで、
自己参照的に少しずつボリュームが変化している辺りのバランスがさすがである。
植田さんの初期の名作「少女四態」を想起させる。
坂道を下るとすぐ米子市内に入る。
★米子市公会堂 / 村野藤吾 1958
倉吉市庁舎とほぼ同時の建物。1980年に大改修し、2014年にまた改修されているので非常に綺麗。
グランドピアノをモチーフにしたというモダニズム全盛の時代に背いた村野さんらしい作り方だが
昭和30年代の建物とあって、その後の建物の意匠と比較するとだいぶ大人しい。
この側面のあたりがものすごい柔らかい表現で
昭和30年代のコンクリートの建物という感じがしないところ
さすがです。
そこから弓ヶ浜半島を横断する形で皆生温泉の方まで走って菊竹さんの東光園へ。
★東光園/菊竹清訓 1964
建築の楽しさが造形にそのまま表出したとでもいうべきなんともすごい建物である。
十字に組んだメガストラクチャーと上に張り出した巨大な梁とで7階から5-6階を吊っているのだけど
その汎用していきそうな感じといい、その結果できた4Fの空中庭園といい、頂部の造形的なシェルの屋根といい、
構造の強さと無秩序さと、未完成さと完成された感じが同居している。
ロビーに入っても、2Fの天高が異常に低かったりスラブが薄かったり
メガストラクチャーに対して非常に華奢な階段室まわりとか
あらゆる建築のあるべきプロポーションが破壊されている感じがある。
4Fの屋上庭園。
現代で提案したら殺されそうな空間だが、あえて使い方を見出そうとしていないところもすごい。
梁は微妙にカーブしていて、この辺りもモチーフが日本建築であることが伺える。
梁と天井の関係を見ても上のボリュームが吊られていることがよくわかる。
東京なら真っ先に経済性を理由に壊される建物だろう。
正直躯体は相当傷んでいたけれど、1Fには未だに昔の模型が展示されていたりして
愛されていることがよくわかる。
結果として経済の弱いところに文化が育っているというのはなんとも皮肉だ。
そこから弓ヶ浜半島を北に30km弱走って境港へ。
★境港市みなとさかい交流館 / 高松伸 1997
植田さんの美術館と違って、幾何学的に凝った意匠が反復されるという
わかりやすく高松さんらしい建物である。
もともと来訪者宿泊施設、温泉施設、物産館、観光案内施設、ターミナル施設のコンプレックスだったらしいが
現状は1Fが飲食と観光案内所、2Fが無料の展示施設とフェリーターミナル、3Fが港の組合事務所で4Fがサウナ。
かろうじて使ってくれている感じではある。
竣工時の写真と見比べても、円柱の下はもともと凹レンズ型の壁になっていたようなので
結構手が入っているようだ。
とはいえ建物としては他に何もないところで、こうした特出した建物は港のシンボルとしては悪くない。
現在周辺は水木しげるロードになっており、小さな妖怪の像が点在している。時代である。
境港から松江まで、噂のベタ踏み坂を上がる。
すごい急坂のように見えるが、実際は6%程度。
ここ自転車走れないと詰むなあと思っていたが無事に通れた。
楽に上がれる勾配と距離。
そこからはこの辺り特有のランドスケープがつづく。
道の両側が湖となっているけれど、その奥は小高い丘に囲われている。
なんとか18時ギリギリ前に宍道湖のほとりの宿に到着。
ちょうど夕日が綺麗な時間。
この日の走行距離が94km。獲得標高がほぼ650mくらいでした。