最終日。北上して金山町を訪問。広葉樹林が圧倒的に多い山形でほぼ唯一スギ(金山杉)が採れる産地。
金山杉と白壁を使用した街並みで積極的に街の景観をつくろうとする街。
芸大の林寛治さんや片山和俊さんがかかわって街並みづくり100年運動というのが続けられている。
広場的空間に建つマルコの蔵のギャラリー内部。1Fがショップとカフェで2Fがギャラリー。
ザ和小屋。いい大工仕事である。
金山らしい住宅が並ぶ。町で一番大きな工務店であり林家であるカネカ。
奥の蔵をカフェとして公開しています。
社長にご案内頂き、社長夫人にコーヒーを頂く。
元々無料で振舞っていたのを、地域の人に逆に来にくいと言われてお金とってると。
はっきり言ってパブリックマインドがおかしい。
設計士の息子さんにも話を聞けたのだけど、5000人くらいいる人口の町がほぼ3家で構成されているらしい。
市町村合併も避けて、小さな自治を守ってきたのだとか。
どれくらいのパブリックマインドかっていうと、農業用水に錦鯉泳ぐくらい。
塀にも愛がある。塀は街並みに対する愛である。
カネカの向かいには郵便局を改装した交流サロンがある。
交流サロンから見える絵画のような風景。
所有とか境界の概念がだいぶ曖昧に見える。
街並みを作ることを長い時間かけてやってきてる成果なのか。
ずっとパブリックマインドによって風景がつくられるのだと思っていたが、
もしかしたら風景がパブリックマインドをつくるのかもしれない。
樹齢280年のスギが残るという近くの森へ。
そこまで手の入った森という感じはないが迫力ある。大美輪の大杉。
林業は基本的には100年皆伐とのこと。なので周囲にはこうした山も見える。
ただもともと町にあった製材所は酒田市の方にアウトソーシングしてしまったというのは少し勿体ない。
近くには自然を体験できるホテルリゾートもあり、
ブランド化しつつある家具ショップがあったり、
林業を背景とした田舎町の可能性と限界を同時に感じる。
町の外れの きごころ橋。
鉄骨をうまく使っているが、なにより橋の上にベンチあるのが最高。
山形のだいぶ北東に来てしまったので山形駅に向けて慌てて南下。
こちらも橋の上に賑わいのある銀山温泉。
宿泊客でない限り手前の駐車場に車を停めて、バスでたどり着く尾瀬方式。
秘境感ある。
銀山温泉 しろがね湯 2001年/隈研吾。
なんとルーバーの間にガラスが挟まっている!
温泉施設ということもあって痛みは激しかった。
町で一番の旅館である能登屋旅館 。これも擬洋風建築。
山形は明治初期の県令(県知事)である三島通庸が、多くの土木、建築工事を行った際に棟梁につくらせた擬洋風建築が多く残っていて、
それがあちこちの町で大事にされている。伊東忠太が山形出身というのが頷ける。
その風景にあやかって、大正ロマン的な衣装が貸し出されており、
コスプレをしている人たちがこの温泉街を闊歩している。
リノベ建築の名作。銀山温泉藤屋 2006年/隈研吾。
ここで某パイセンに大人電話して中を見れる段取りをつけてもらう。
120万本の竹を割いたすむしこ天井。狂気を感じる。
古い梁が表された客室。空間のほとんど和紙と木材で(つまり森で)できている。
浴室。追加された構造材以外はほぼ無節で贅沢。
大満足し、大慌てで山形駅へ。
無事予定の新幹線に乗車。
基本的には平地だらけで.広葉樹の多い遠くの山には雪が抱かれて、
雪解け水で川の水量が凄い中、桜があちこちで咲いてるっていうのが山形の5月の風景でした。
来年のGWにでもぜひ。