先日、久しぶりに葛西臨海公園に行ってきました。
葛西臨海公園はバブル期真っ只中の1989年に、谷口吉生設計の葛西臨海水族園を中心施設としてオープンした公園です。
最近よく思うのですが、バブル期の建物には、無駄が非常に多い。
そして誤解を恐れずに言えば、無駄な建築って良いなあと思うんです。
先日改修したマンションもバブル期の建物でしたが、無駄に空間が余っていて、それがあの建物独特の良さにつながっていました。
写真の葛西臨海公園のレストハウスなどは、これは非常に稀な例ですが、ほぼ建物全体が余剰空間と言ってもいいくらいです。
現在の設計から見ると、バブル期の建物のこうした無駄というのは有り得ないと思う一方で、ゆったりしていてとても贅沢だと思うんです。
こうした無駄は公共建築を中心に、いわゆるハコモノ建築として激しく批判を浴びてきました。
以降多くの設計事務所では経済的合理性に強く影響され、どんどん無駄を排除するようになっていきます。
その一方で、こうしたハコモノ建築の運営方法も盛んに議論され、無駄な空間の活用方法に対するノウハウも高まってきました。
無駄なハコモノ建築の存在が、都市を豊かにしたと言ってもいいくらいです(笑)。
写真はバブル期のハコモノ建築の代名詞とも言える有楽町の東京国際フォーラムです。
建設当初、は単に無駄に広いだけという印象の中庭でしたが、今やケヤキが育ってものすごく緑豊かになっています。
週末ごとに骨董市が頻繁に催されたり、フォーラム全体を使って行われる音楽フェスの無料舞台の一部として使われたりといつも活気にあふれており、夕暮れ時にはこれも当初から無駄の温床だったガラスケースからの光でぼんやりと照らされて、非常にいい雰囲気の空間となっています。
こうしたバブル期の建築が設計当初と違ったカタチで(時には改修されて)活用されている事例はいくつもあります。
とは言え現状、資金の限られたクライアントに無駄な空間を提案するのは、なかなか難しいものです。
ではそもそも建築における無駄とは何か。機能が不明確な空間のことです。
しかしそのままだと提案できません。そこで「機能と空間が1対1じゃない」空間と言葉を置き換えてみます。
たとえば住宅において、キッチンに付随して6畳くらいの仕切られた部屋があれば、もうそこは無駄なくダイニングとして機能と空間が1対にしか成りえません。
そうじゃなくて、ちょっとした家具の移動などが必要でも、朝は朝日の入るこっちでご飯を、夕飯はトップライトのあるこっちで星を見ながらといったように、機能と空間が1対1の状態から開放してあげると、そこには限りなく無駄に近い空間が生まれてきます。
つまり機能と空間の関係を問い直すと、それは贅沢さにつながっていくのです。
あなたの家の中にもよく探すと、小さくてもなんとなく機能から溢れてる空間があるかと思います。そういう場所の活用方法を自分なりに考えてみると、生活はもっと豊かに贅沢になっていくかもしれません。