久々に会った昔から音楽好きだった後輩が、歯医者でありながらものすごく建築好きだったのが、今年の忘年会の度に話してき与太話をものすごく裏付けていたので、せっかくなので少しまとめてみます。
世界の捉え方とコミュニケーションの話です。
この話のベースとなっているのは脳科学的には、人それぞれに物事の感じ方は違うので、世界は一つしかないのではなく、人の数だけ世界は存在するのだというメタ認知的な話です。
最近普段あまり接しないような施主と接したりしているうちに気づいたこと。
それは世界は(世界の人は)こういう風に四つに分かれているんだということ。
文学的-科学的というのは、論理的にモノを説明しても分かる人と分からない人の違いです。簡単に言うと文系出身か理系出身かで判断できます。
言語的-感覚的というのは、言葉以外でモノの良さを判断できない人とできる人の違い。簡単に言うと音楽を歌詞の意味以外で楽しめる人になるかと思います。ちょっと前にうう脳うさ脳とか流行りましたが、あれでいうと腕を組んで右側が下にくる人たち。
この中で建築家がどこにいるのかと考えてみると、建築家が社会から愛されてない理由は、とてもはっきりしてるなあと。
いま社会的に施主になっている多くの層(経営者層)はこの領域の人たち。みんな設計というよく分からないものを科学的に言葉で説明してくれる、しっかりした組織事務所にお願いする。
その昔は曖昧なことが言語化されてなくて感覚的にモノを理解するしかなかったから、大衆は左上にもたくさんいた。そこが建築家のマーケットだったんじゃないかと思います(検証のしようがないですが)。
それで何が言いたいかというと、いま建築家がやらなきゃいけないのは建築に関わるプレイヤーを増やすことだっていうのは間違いないんですが、プレイヤーがどのエリアの人なのかによって説明が変わるのに、相手にするエリアの人が変わっちゃったことにみんな気づいてないというのが僕の意見です。
仮にプレイヤーがたくさんいたら定量化するしかないんですが、誰かと向き合うならその相手によって説明の仕方を変えればいいだけだったりするんじゃないかと思います。たとえばこういう感じに。
建築の説明の仕方は多様にあります。相手にしっかり向き合って説明すればまだまだマーケットは開拓できるはず。
とはいえコミュニケーションが全てという話をしたいワケではないので、デザインの問題に少しだけ話を広げて終わりにしたい。ちょっと専門的な話になるのでわからない人は端折ってください。
世界は4つに分かれていると言いましたが、勿論実際にはグラデーションになっていて、文学寄りの科学人も言語寄りの感覚人も存在する。
そこで建築家の中でもエリアの中の住み分けを考えると、多くの人に伝わるデザインと伝わらないデザインが見えてきてとても面白い。
ちょっと前の新しい身体系のデザインはこれに当てはめて考えると、大衆からとても遠いデザインだったのじゃないかと思います。好きだけど。
一方でポストモダニズムと一緒にするなって話ですが歴史に接続しようという最近の動きは、大衆に近づく方法ではあるなと。
いいデザインを考えていくことは勿論大前提ですが、デザインのコミュニケーション力(伝わるデザイン、伝わらないデザイン)を考えていくことが僕のライフワークでもあると改めて思っています。
ということで今年一年ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。