【林業】林業と建築を考える旅① 〜何のために木を使うのか〜
【林業】林業と建築を考える旅② ~吉野の森から学ぶこと~
吉野の旅は続きます。
樹齢180年の巨木の風景を後にし、再びジェットコースターのように作業道をうねうねと下り、吉野川沿いに並ぶ原木市場や製材所を回りました。
伐採された木材がその後どういう流通経路を辿って建設現場へ至るのか、実はちゃんとご存じない方多いと思います。正直僕も全然知りませんでした。
伐採された丸太は、まず森林組合らが管理している原木市場というところに一端買い取られて行きます。林業者にとっては、場当たり的に生産しても原木市場が買い取ってくれ、製材所にとっては少量必要な時にも買えるため、この原木市場が機能しています。
市場には写真のように材種、材径ごとにまとめられ積まれてあり、太さが書き込まれています。
ここでセリが行われて、いろいろな製材所に木が買われていきます。
次に製材所。製材所では丸太の皮を剥がれて製材され、乾燥されていきます。このまま現場やプレカット工場に流れる材もありますが、木材市場に買い取られるものもあります。
木材市場へ行くと用途に応じた木材がズラッと並んでます。ここに買い付けにくる工務店さんやユーザーもいるようです。
平成14年の統計によると国平均の製材所の出荷先は直接建築業者に卸される材はわずか27%で、木材市場が35%、木材販売業者が22%となっており、中間業者の多さを物語っています。
つまり一番遠い流れで説明すると、この木材市場に木材販売業者が入って、工務店が入って、ようやく現場にたどり着くというルートになります。中間業者が多いほど当然輸送コストも経費も増え木材は高くなります。
京都の日吉町森林組合のように改革意識を持っているところでは原木市場への依存は全体2割くらいにして、合板工場やチップ工場と直接取引して森林組合で地域森林を一体的に管理して、年間の事業量が決めているところもありますが、吉野もそうであるように、ほとんどが既存のルートに則っている。。。
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我々のような設計者にとっては自分が使う木材がどのルートを通ってきていくらになっているのか、知ることがとても大事になってきますが、林業界を見ていると一番重要で、一番謎なのがこの木材の価格です。
ざっくりネットで木材販売業者の値段を見てみるとトップにはスギで¥38万/㎥と出てきます。これに対してそもそも山ではどのくらいの価格になっているのか。
まず原木丸太の価格が何で決まっているか。これほとんど輸入材との比較で決まっていました。輸出国原価1万円/㎥+輸送コスト1万円だから2万円ということでずっと来ていた。
販売業者との価格のズレに驚くところですが、本題からそれるので先に進めます。
ブログの①で林業界は補助金で薬漬け状態と書きました。今実際にどういう数字なのか見てみます。
まず丸太価格。表によるとバブル前は2万円/㎥あったスギ丸太ですが1万円を切る価格まで落ち込んでいます。
これに対して製材所への輸送コストに4000円/㎥、原木市場の手数料に2000円/㎥がかかってくる。
実質ほとんど利益がなくなっているにも関わらず、補助金で回そうとしているというのはこういう状況です。
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原木価格には一旦目をつぶって、その先で長伐期多間伐で質のいい材を出す吉野の林業で、きちんと製材所は儲かっているのか。
丸太をヘリで山から下し、1本うん千万で飛ぶように売れたという経済成長期~バブル期と比べると材木の価格は半値以上に下がりました。川沿いにたくさんあった製材所の数も1/10まで減ったといいます。
*日本とオーストリアの木材価格の推移(農林水産省木材需給統計、オーストリア森林報告書2007より)
実際に数字で見てみると、経費がさほど変わらない中でオーストリアの木材価格と比較して2-4倍近い値段がついており、当時の日本の材価が異常すぎるくらい高かったことが分かります。
この意味するところはつまり、国産材が外材との価格競争をせずに、高級品質の銘木としてマーケットを分けてきたということです。
ドイツでもフィンランドでも価格競争の末、製材所はイノベーションを繰り返し、設備投資できないところは淘汰され、結果として大型化する方向にあったワケですが、マーケットを分けたことが、日本の林業・製材所からイノベーションを遠ざけた理由の一つだと言われています。
結果としてバブル以降の不況と共に、高級材=銘木のマーケットのはなくなってしまい、外材に勝てない状況が続いています。
林業国はほぼ先進国なので、人件費がさほど変わりません。成長量や管理の手間の問題はありさえすれ、輸送費がかかっている外材に負け続けているのは、本当はおかしい。
最初に訪れた松尾木材の社長は”もしかしたら俺らの代で銘木という言葉はもうなくなってしまうかもなあ”と嘆いていました。
しかし見方を変えたら、もしかしたらそこから新しい林業が始まるのかもしれません。
大概の林業者が”もっといい木を、集成材でなく無垢材を使ってくれ”と言うんですが(僕も言ってきましたが)、正直言うと無茶苦茶言わないでもっと価格競争頑張ってくださいって思うんです。
原木その値段でじゃあいくらになるんですか?っていうと木材販売業者の価格と比較して決めてくる。。。
なんでこういうことが起こるのか。木材価格における原材料(原木)価格が微々たるもので、輸送費や中間経費を含んだ需要とのバランスで決まっているからですが
そのことに対して適正価格を突っ込めない需要側の無知にも原因があります。
38万/㎥?いやいやそんなにかからないでしょ?そもそもそれって無節なの?上小節なの?赤身なの?源平なの?その仕様ならもっと安くできるでしょう?っていう需要側の精査がなかったことも
逆に言うと競争力のない林業界を生んでしまったのではないかと、僕は考えています。
つまり正しい需要側の知識と正しい流通があれば、山にお金が回る可能性は十分にあると。。
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話を吉野に戻します。減り続ける生産量に対して、松尾木材さんは意外な工夫をしていました。製材所の横の小さな工場を案内してもらうと、外には丸太から製材した時に出る端材が干されていました。
これをたくさん並んでいる機械に次々に入れていって、できるのは吉野杉の割りばし。
普段なら捨てられてしまう端材の利用に目をつけて、割りばしにする。
国産の割り箸のうち7割はこの工場でつくっているそうです。(実際割り箸のマーケットは9割が中国産。)
*割りばしを削り出す機械。落ちている削りカスが木毛板に使われる。
実際に中国産の割りばしと吉野杉の割りばし比較してみると、吉野杉の割りばしは木の香りも強度も素晴らしい。
松尾社長は材を余すことなく使うことはもちろんだけれど、いい木の価値にふれることが少なくなってしまった今、この割りばしが吉野材への入り口になってほしいという思いでつくっているようでした。
日本においては森林と生活が切り離されてしまっていることは社会の問題のひとつです。森林が国土の7割近いのに森が遠い。
自伐チームにとって、新たに知り合う人にこの松尾木材の割りばしを配って実際にその違いを知ってもらうことが、以降ひとつの挨拶のようになっていきました。
この割りばしの不良品の選別は近所のおばあちゃんに発注しており、機械を燃すボイラーは別の工場から出る集成材の端材を燃料として利用しているといいます。
集成材には接着剤が入っているからよく燃えるんだそうです(笑)。割りばしの削りかすは木毛板の材料に回ります。なるべく木を製品として使い切る精神です。
それでも余った材は近くのバイオマス発電所に運ばれていきます。山と人の周りにある里山の小さなサイクルでこの町は循環しているのです。
吉野にもバイオマスの発電所がありますが、林業の盛んな地域の周りには今やバイオマスが欠かせなくなっています。
端材や行き場のない間伐材には最終的にバイオマス発電の燃料として値段がつくことで山を支えています。
一方で日本では発電方法に限らず再生可能エネルギーによって発電された電気の買取価格を20円/kwに固定してしまったことで、丸太に1万3000円/㎥の値段がつくことになってしまい、結果として合板や製材より高くなってしまったという問題もあります。
特に木の育ちの早い九州ではこのバイオマス発電所が乱立しており、発電のための無秩序な伐採という逆転現象が起き始めていると聞きます。経済効果ありきで物事を考えるからこういうことが起こるんです。資源ありきで考えていかないといけない。
続いて坪岡林業という若い坪岡社長が経営する、突き板製材を主とする製材所を視察しました。
生き残っているどこも製材所は工夫にあふれているんですが、坪岡さんは特に面白い製材屋で、製材工場を営む傍ら、吉野の材を使った木の小物、店舗の内装まで、なんと自らデザインをしています。
これが無茶苦茶オシャレ。吉野材を製材所からの直送価格で現場に入れられたら、正直普通の設計士は太刀打ちできないなあと思いながら見ていました。
事務室を案内していただいた最後にボソっと言った坪岡さんのひと言が、僕たちの意識を変えた気がします。
”今山に樹齢200年とかの木がある訳じゃないですか。つまり我々は7代前の山守たちのおかげで生きていけてるんです”と。
山に少しずつ手を加えて材を出し続ける作業が200年続いて、その環境の中で生活が成り立っている。。。
まさに僕らも自然の一部であるだけでなく、続いてきた長い時間の中のほんの一部なのだと気づかされる旅でした。
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日本の林業の現状は、言ってみたらヴィトンとかプラダのような実際の価値以上のブランド価値が崩壊した後の世界です。過剰な資本主義の後の世界。
そこでどういうことが必要になるのか。当然真っ先に挙げられるのが価格の適正化です。
僕は常々、ものの価値に対して建築家には二つの能力を持つと思っていました。まずは、実際の価値を増す魅力を付加できる力。従来的なブランド化する建築家像です。
もうひとつの価値に対する能力は価格の適正化じゃないかと思っています。設計施工の工務店とも、広告にお金をバンバンかけるハウスメーカーとも違い、第三者的視点で本当にかかるお金を示す能力。
さらに言えば、設計士や林業家や大工さんが今後も持続していくためには、実際にいくら必要なのか、適正化する力です。
林業の状況をみていて、今後社会の持続性がもっと語られるような時代になった時に、価格の適正化に際し、社会の持続に寄与するものついては、ブランド価値やストーリーの価値とも違う、プラスアルファの価値がつく社会になっていくべきではないかと思いました。
たとえばオーストリアの小さな村ではバイオマス燃料には、(実際には石油より安価に流通できていながら)石油価格よりも高い値段を払っていると言います。
万が一戦争などで石油価格が高騰した時にもバイオマス燃料の価格は変わらない。その分を市民が理解してあらかじめ支払っているのだそうです。
山の環境を維持していく中で経済が回るようにするにはどうすべきなのか。
吉野から学んだのは地産地消で木を無駄なく使うことでした。そして何より求められているのが流通経路の短縮化。
次回はそんなことをもやもやと考えている中で、飛び込んできた設計依頼から東京都内への製材所への旅です。視察から実践へ。
④に続きます。