最終日。出雲まで戻って出雲観光して出雲空港から羽田のスケジュール。
走行距離は約60km。
朝から石見銀山散策。
町の中央の高台から見るとこんな感じ。
茶色い瓦屋根が並ぶ。
2007年に世界遺産認定。全盛期は戦国時代から江戸前期までという町。
んー綺麗過ぎるかな。
銀山の炭鉱のあともいくつか入れるところがある。
入ってみるとこんな感じ。
街の建物を積極的に改修して、瓦を茶色にし、外建具もガラス戸から木障子+木戸に戻したという相当極端に修復したようである。
建物のほとんどに通り側に縁側がつくられているけど、時折柵があってベランダのようになっているのがこの街らしい規範となっている。
中庭形式の建物で現代的に改修された商業建築もある。ライフスタイルブランドの群言堂。
客間に敷かれた冬仕様の段通。畳大になっている。
建具も含めて間も無く夏用に衣替えするらしい。
モジュールの利点である。
2Fの和室。広縁が畳より高くなっているというのは珍しい。
結局お昼近くになって慌てて大田市まで走り、ローカル線に飛び乗る。
海沿いを走る単線で気持ちがいい。
出雲神西駅から大社に向けて一直線に走る。
途中迫力のある旧大社駅。
いちいち大きい意匠が出雲らしい。
駅舎内は簡素だが、木造ながら大空間。
折上格天井と凝った意匠の切符売り場が印象的。
大社文化プレイス / 伊東豊雄 1999
大きな鳥居の直前にある大社文化プレイス。
名作の多かった20世紀末の屋上緑化建築である。
大ホール、円形ホール、図書館からなる。
フライタワーを除いて大ホールを地形から続く大屋根で処理しているため
ホワイエの天高が異常。同年のビッグハートと比較してみると世代差を感じる。
線状の天井表現はとてもいい。
ビッグハートでも使われていたけれどプロフィリットガラス本当に流行ってた時代だなと懐かしくなる外回り。
安東さんの仕事と思うが、カーテン一枚入っているだけで相当柔らかい。
そのまままっすぐ大社へ。
鳥居をくぐってから下っていく体験が新鮮。
下りてから振り返ったところ。
★出雲大社庁舎 / 菊竹清訓 1963
建築学会賞。出雲地方に特有の稲を干していく「はでば」をモチーフにしたというつくり。
繊細なコンクリートの表現。
田部美術館にも見られた軒の表現がある。
生憎内部は見学できず。間にガラスの入ったコンクリートの表現は類を見ない。
出雲大社をぐるっと回る。檜皮の屋根の肌理がすごい。
大社の大雑把な意匠と巨大神殿説を実しやかに流布しようとする感じにちょっと疲れてきた。
★出雲大社宝物殿 / 菊竹清訓 1981
庁舎向かいの宝物殿も菊竹さん。総はつりが段違いになった表現。入母屋式のハイサイドが猫耳っぽい。
上がった2Fが展示室で、いきなり名刀村正、正宗が展示されていて震える。
★島根県立古代出雲歴史博物館 / 槇文彦 2007
出雲大社の東側に立つ博物館。
大仰なアプローチ。出雲大社クオリティ。
ランドスケープの巨大さを除けば、とても谷口さんぽい。
繊細さが全くないところが出雲っぽくもあり、大らかで槇さんらしいのかもしれない。
空港に向かう道すがら、気になっていた出雲ドームに立ち寄る。
★出雲ドーム / 鹿島デザイン 1992
日本初の木造ドーム。直径140.7m、高さ48.9m。
木造のアームでアーチを組んで、スチールの張弦梁で抑えている構造。
木造で巨大で天井が印象的という、出雲らしい良さが一番でた建物である。
ということで4日間
自転車移動距離約320kmの旅が無事終了。
地方において建築の象徴性がいかに大事であるか
建築を使い続けることがどれだけ街のクオリティを上げるか
ということを実感させられた旅でした。
経済的に豊かでも建替える文化の出雲より使い続ける文化の松江のほうが愛おしい。
旅して思ったのはいつの時代も建築家は建築を愛してもらうためにいろいろやってきたのであって、
結果として成功しているなと思った方法は4つに集約できる。
①とにかく長く使い続けること
②ユニークで突出していること
③ゴージャスであること
④ユーザーの関わりが多いこと
そしていつも思うことだけれど、圧倒的に①に敵わない。
今は④全盛期だけれど、②も③も④も最終的には①に回収されていく。
その時に②や③がとても素敵な風景になっている。ということをしみじみと感じた旅でした。