諸先輩後輩がFBなどでいろいろと八雲賞(首都大卒業設計OB講評会)について書いてくださっていて、ほとんど一人に丸投げながらも運営に片足(指先くらい)突っ込んでいた人間として、懇親会に肝心の4年生が4人しか来てくれないくらいでがっかりしてる場合じゃないぞと思い直してますw
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そもそも大学側からのサポートが去年からついに支援が場所の提供しかなくなってしまった中、審査員のマンネリ化もあって存続が真剣に危ぶまれていた会ですが、いざ支援がなくなって見ると、母校の後輩への愛情と建築議論への熱だけがこれを支えているのだということがこの2年でだいぶはっきりしました。
今年を振り返ると、例年プログラムのコンプレックスなど社会に建築を成立させるための方法論だけがテーマとなって、建築そのものやデザインのツメが弱いというのが首都大の風潮。今年は八雲賞を受賞した櫻田君や最後まで争った横江君を筆頭に、一転して建築のクオリティは悪くなかったけれど挑戦的なテーマは皆無で、ファンタジー的な提案が多く、総じてほとんどの学生から社会への真剣な興味を感じられないという事態。おかげで学生の人間性への質問が増えてしまったけれど、こういうのを客観的に見ると完璧におっさん化というのだろうな。反省w とは言え、パルテノン多摩の大階段を敷地にしてしまったり、ゴルフ場が葬儀場になってしまったり、近代的な社会遺産を徹底的に斜めに見る感じは僕としては大変共感するものがありました。
ちなみに僕は毎年、“敷地やテーマなどの着眼点”と“それに対する自分のストーリー設定”(批評性軸)、“その自らの設定をどれくらい掘り下げられたか”と“デザイン/設計能力”(作品性軸)を見ていますが、一番大事なのは掘り下げる力(=愛)であって、そういう人の背中を押し続けることが、何か次の世代をつくっていくことにつながるんじゃないかと信じています。
僕らにはなじみ深いこの講評会ですが、ここ数年こういう、案の深読み大前提、プレゼンのクオリティは問わないという、OBの審査員だけが議論を白熱させている講評会は見たことがないという話をよく聞くようになっていて、続けてくださった先輩方のおかげだなと改めて感謝すると同時に、来年以降も盛り上げていければと思う次第です。とにかく今年はひとりで切り盛りした鹿内おつかれさまでした。
退官されている深尾先生が外野席にいらして自ら審査員を審査しに来たと言ってくださったように、審査員としての質が毎年問われる緊張感も八雲の醍醐味であり、自分自身の成長を振り返る場所としても大変有り難い。(いつも反省しかありませんが)
ということで母校の後輩への愛情と建築議論への熱には自信のあるというOBの方の挙手を毎年待っております。今年も呼ばないでも来てくださったたくさんの先輩後輩に改めて敬意を。ありがとうございました。