Hiroki Tominaga – Atelier

ドーマー窓の家 / House with Dormer window

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ドーマー窓の家
明治時代から代々住み継いできた住宅を建て替える、70歳前後の夫婦のための小住宅である。建物が家主より長く残っていくことがいつも以上に明確な条件としてある。敷地は岐阜県の長野寄りの山奥で、私鉄沿線の終着駅。東京と大阪で働く二人の娘も、もうこの土地には戻ることがなさそうである。はじめは100年近く増改築を繰り返してきた住宅を増減築したりする方法も含めて議論を重ねた。正直に言って今回ほど本当に建てていいのか迷った案件はない。しかし施主は建て替えたいという。旦那さんは奥様より少し年上であり、何かしら残る者のために廃墟のような家ではなく、温かく快適な家を残していきたいのだというような”愛”を感じて引き受けることとなった。
南側の国道はもともと商店の並ぶ街道であり、もとの住宅も国道に面して建ち、軒が通り側へ越境していた。建て替えるに当たり、日当たりや交通騒音を考えたら北側へ引っ込みたい。しかし、人口の減り続ける地方の田舎町で風景に寄与しない新築は望ましくないと判断した。そこで、昔の街並みに倣って通りに屋根面を立て、なるべく軒の先端を通りに出しつつ、壁を2m後ろに下げて方杖で支えた深い軒下を駐車場とした。これによって建物は街から引きこもることなく通りに灯りを落とし、街や地域の人も関わりやすくなる。雪や雨の時も濡れずに家の中まで行けるし、車がなければ軒先で建主が収穫した野菜や果物を売ったりできるかもしれない。
一方で南側に屋根面を立ててしまうと採光は得にくい。そこでヨーロッパのアパート最上階などによく見られるドーマー窓を付け、採光を確保することにした。さらに、このドーマー窓を肥大化させて南北に貫通させることで、夏場の煙突効果による自然換気口とするだけでなく、盆や暮れの休みには子供や孫が集まれるロフトとしても機能するような場所とした。床には光だけを通し、温熱や音は遮るFRPハニカムパネルが敷かれ、下の和室に光を落とす。構造として合理的だという理由で十字の構造の交点から筋交いを出した結果、ドーマー窓には漢字の「木」の字が現れ、町の人から親しみを持ってもらうきっかけとなった。
キッチンを中央に畳の部屋と板の間が間に水回りのボリュームを挟みつつ、ゆるやかにつながる平面となっている。二人の生活を楽しんでもらうことが最優先であったが、将来的に住宅ではない機能に転換できるよう配慮した。 
敷地前の街道は、ひとつ区画を越えると「日本大正村」を称する観光地の端に繋がり、昔ながらの木造商店が今も軒を連ねる。この町は30年ほど前に国鉄が民営化される際、廃線の危機にあった明智鉄道を存続させるために、大正時代の建物や暮らしに焦点を当て、自ら「日本大正村」を名乗ったという地方創生の走りのような町である。しかし、敷地周辺の大部分の家は店部分を壊して駐車場とし、奥へ引っ込んでしまっている。そうした建ち方ではなく、建主よりも長く町の風景として残っていく建築の表現として目指されたものは、この場所の歴史を引き継ぎつつ、これまでの建築の変遷を再解釈するような風景であった。それは言わば2つの時間軸の上に建つ建築であり、そうしてこそはじめて、このストック過多の社会の中で、新築を建てる価値があるのではないかと考えた。

photo takumi ota